2010年8月24日火曜日

これまでの人生でショックだったこと

なんか書き足りない気分ムラムラ(笑 なので、もうちょっと書くことにします。

これまでの人生の中で、とてもショックだったことが2つあります。

1つ目は「悪意の存在」ってやつですね。学生時代、僕はとても恵まれた環境で育ったせいか、無関心な人の存在は知っていましたが「悪意を持った人」の存在って、小説なんかのフィクションの中にしかあり得ないと思っていたというか、そんなことを考えたこともなかったんですね。で、なーんとなく、ある電機労連に入っている会社の総合研究所に研究員として就職した時のことです。まあ、どこでもそうなんでしょうけど、その研究所も学閥というのがありまして、どちらの学閥にも属していない新入社員の僕を勧誘してくるわけです。僕は派閥というのが嫌いというか、一匹狼的なところがあるので、どちらとも等距離にいたのですが、ある期間を過ぎると双方の派閥から攻撃が始まるわけです。まあ、派閥に属している人から見ると、(派閥に属していることで)ストレスが貯まるから、誰かを攻撃したい。でも、相手の派閥に属する人を攻撃すると問題になるから、どこにも属していない僕なら、大丈夫だろう、、、って発想ですね。今なら、納得できるのですが、そのときは、その悪意の存在に、愕然としたもんです。まあ、初心だったんですね。

で、2番目は最近気づいたのですが、「学生は高度な教育を望んではない」ってことです。僕は「学生は高度な教育を望んでいる」もんだとばっかり思っていたんですけど、どうもそうじゃないみたい、、、から、「望んでいない」ということを確信するのに至るに及んで、僕の教育意欲は、劇的に低下したもんです。
確かに僕も学生時代、苦しいことは嫌でした(今でも、嫌ですけど)。でも、挑戦しがいがあると思ったことは、苦しいのかどうかわかんないまま、好きだから結果として一生懸命になっていました。僕の場合は、学生時代は自分の専門(放射線物理学)、卒業後はコンピュータだったんですけどね。で、少しでも高度な教育を受けようと、アメリカまで行っちゃったんですけどね。

だから教員になって、学生に対して僕が持っている技術は惜しみなく教える。そして僕が持っている技術が、独りよがりのものじゃなくて世間一般から見ても、まあ納得のできるものだという証明をし続ける、または、僕自身が進化し続ける、ことが学生に対する最低限の義務だって思っていたのです。でも、学生(の多く)は、高度な技術なんて、教えてほしいと思っていなかった。そのことに気づいたときには、さすがにショックでした。で、まあ、現在に至っているわけです。

void removeEOL(chat *s)
{
    while (*s) {
        if (*s == '\n') {
            *s = '\0';
            break;
        }
        s++;
    }
}

上の関数は、fgetsによって読み込んだ1行の文字列の最後にある改行コードを取り去るC言語の関数です。
なんで、これを唐突に書いたかというと、いくらぼけ中年になっても、この程度の関数はいつでも書けるぞ! っていう、生涯実装者としての確認のためです

「おうおう、書いてやろうじゃん! だから、書き終わるまで、黙って待ってろ」

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