2011年1月6日木曜日

昨年末に出てきた写真

小菅です。

机の整理をしていたら懐かしい写真が出てきました。
高校時代、文化祭の劇に出た時の写真です。うちの高校とんでもない高校で、多分僕の個性はこの高校に3年間通ったことがかなり深い影響を及ぼしているのではないかと思っています。
その高校の文化祭で演じられているのが、秩父支部劇(熊谷高校ではPTAが地域ごとに支部になっていた。で、秩父から通ってくる連中の事をチチビアンと呼び、チチビアンが3年生が伝統的に文化祭で講演する劇のことを「秩父支部劇」と呼ぶ)なんですけどね。そのときの写真が出てきました。僕は当時鴻巣在住だったのですが、なぜかチチビアンと仲が良く、3年の時に秩父支部劇に友情出演しました。僕の他にも、吹上の紺野君とか、友情出演していたかな。

今、「秩父支部劇」でぐぐってみると、2007年の情報がたくさん出てくるのですが、僕の世代は1978年で「カメの恩返し」というのが演目でした。ええと、これから物忘れが激しくなると思いますので、今日は「カメの恩返し」のあらすじを書いておこうと思います。

ちなみに、不適切な表現が含まれていますので、そのつもりで読んでください。

=====あらすじ(ここから)=====
諸国漫遊中の水戸黄門が、海岸でいじめられていたカメを助ける。
その後、水戸黄門は諸国漫遊を続け、その挙句にキャバレーに行ってインポになる。
インポを治療するために、水戸黄門はトルコに行く途中、成田空港に行くが、成田空港では過激派学生がデモを繰り広げており、体制の具現者である水戸黄門は、過激派学生に捕まってしまう。

過激派学生を操る過激派農民と過激派ウシ(小菅)、実は右のもんぺ姿の農民の妻が実はSMマン

過激派学生のシュプレヒコールは初めは「成田空港を粉砕せよ」とかまあ過激派ぽい内容なんですが、だんだん「共通一次を粉砕せよ」とか「私文(私立文系志望者)に数学やらせるなー」みたいな、当時の受験生の関心事になってゆくのが楽しい。

=====あらすじ(ちょっと中断)=====
あ、ちなみに僕は共通一次第1世代です。話がずれますが、熊谷高校の生徒がとんでもない連中であるということは広範に知られているので、他の学校の学生がびびらないように隔離の必要を当局も感じたのか、試験会場は浦和高校(県内どころか全国的に有名な進学校)で、浦和高校の生徒とあいうえお順にソートされ受験しました。実は共通一次試験の当日は雪が降り、浦和高校の校庭で僕達は雪合戦に興じた覚えがあります(笑。いわばアウエーで戦ったのですが(笑、まったくプレッシャーを感じていなかった。
いやぁ、今でも思い出しますが、 共通一次試験では、僕は神が降りてきた状態で、理科の選択は「生物」と「物理」を選択したんですけどね、まあ、物理はできるわな(笑。で、問題は生物だったんですが、カエルの卵の受精直後のイラストがあって、この部分はのちに何になる・・・ってのを選ぶ問題があって、適当に選んだらそれが全部当たる(出来たのではない)とか、社会で選択予定の「日本史」が年を越した段階で「大和朝廷の統一」まで終わっていなかったため、急遽会場で選択した「倫理社会」で直前の休み時間に見ていたゲゼルシャフトとゲマインシャフトが出題され、満点をとるなどしました(笑。ちなみに1年間こつこつ勉強した地理Bは75点だったかな。でも、国語が壊滅状態で、京都大学理学部は落ちたんですけど、あはは。ああ、当時は初日の問題の正解はその日の夜にNHKでやっていたんですが、国語の解答が発表された時には、顔から血の気が引く音がほんとにしました(爆笑。
=====あらすじ(ちょっと中断おわり)=====

で、話を戻しますと、実は過激派学生を操っているのはSMマン(毎年の秩父支部劇に登場する悪役)で、捕まった水戸黄門を拷問にかけようとする。はてさて、SMマンに捕まった水戸黄門の運命や如何に・・・

水戸黄門が三角木馬に載せられて、今まさに拷問が開始されようとする時に、現れるのが亀頭マン(毎年の秩父支部劇に登場する正義の味方)。華麗に体育館のキャッツウォークからターザン飛びで現れ、過激派学生や過激派農民をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、最終的にSMマンとの対決になる。
SMマンとの死闘にザーメン光線で勝った亀頭マンは、水戸黄門を助け、静かに去ってゆく。。。
=====あらすじ(ここまで)=====

以下は残っていた映像資料
左から2番目にSMマンが写ってます。一番右は黄門に助けられたカメ

うむー、中央で右手を挙げているのが亀頭マンですが、影でよく見えません。残念。一番右に小菅が写ってます

この年のSMマンは、普段はすげぇ真面目だと思われていた松村君で(いや真面目でしたよ)、新潟大学医学部に進学後、今は親の産婦人科医院をついでいます(笑。

まあ、秩父支部劇にはいろいろ逸話がありまして、代々顧問は校長先生にお願いしているのですが、この年は台本を持って校長先生に顧問のお願いをしに行ったら、台本を注意深く読んだ校長先生が「うーん、僕には黄門はむりだねぇ」と、、、なんと、顧問と黄門を聞き間違えちゃってくれた、お茶目な校長先生だったとか。。。文化祭の翌日体育の先生が「今年の支部劇に出た生徒は、全員留年させて、来年また支部劇をやらせる」と言っていたとか、まあ、いろいろありました。こんな学校で3年間過ごし、メンタル面ではその後ほとんど進化していないのが、僕なんですね。

しかし、ここに写っている全員、同級生なので全員50歳になってます。言い古された言葉ですが、「この連中と高校時代を送れて僕は幸せだったんでしょうねぇ」

あ、ちなみに熊谷高校は、県立なんですけど、男子校です。