2010年5月7日金曜日

じじいの戯言 ー 価値を創造しよう

じじいの戯言です

最近読み返した本に「大唐帝国」というのがあります。この本、タイトルは「大唐帝国」なのですが、漢末から唐の滅亡まで、中国の中世を概観する内容で、特に経済面で示唆に富んだ記述が多数あります
この本によれば、中世の中国は景気の底だったらしいのですが、それは中国の金が当時の先進国である西域との貿易によって、西域の進んだ製品を購入するために流出し、中国国内で極度の金不足に陥ったことが原因であると述べられています
要は、お金の循環が悪い訳ですから、有力者は一度金を手放すと、次にいつ金を入手することができるか、分からないので、極力お金を使わない生活を始める。そのため金は市場に出回らず有力者の元に死蔵されてしまい、なお一層、金の循環が悪くなるという、今で言うデフレ・スパイラルが中世の中国で発生したということです。もちろん、今の様に急激な変化ではなく数十年から数百年かけて徐々に発生した、ということが現代とは違います。まあ、詳細は「大唐帝国」をお読みになってください

さて、現在の日本、および世界の経済状況ですが、経済音痴の私にわかるように、目一杯不景気です。この不景気の原因を、中世中国の例で考える訳には、とうてい行かないのですが、私なりに考えることがあります
この世の中には、どんなメトリックス使えば良いのか、とんとわかりませんが、純価値の総量というものがあるように思うんです。ここで言う純価値とは企業会計などで使われる純資産とはまったく違うもので、例えば土地を例に取れば、土地は、住むことや物を生産するために必要なもので、それ自体が単独で価値を持つことがないって立場で考えています。ですから、わたしの考える土地の純価値というのは、現在の地価と比較してかなり低いです(笑
一方で、人間は、その行動によって純価値を作り出すことができる、唯一の存在であるわけで(何やら資本論みたいになって来てしまいましたが)、その作り出した純価値に応じて金を受け取ることができると考えています。ここで資本との関係を論じてしまうと、マルクス主義になってしまうのですが、頭の悪い私は、そこまで考えません(爆笑
私が論じるのは、見せかけの価値を作り出す行為の不当性についてです。例えば、金融商品にデリバディブというものがありますが、デリバティブは「実物商品・債権取引の相場変動によるリスクを回避するために開発された金融商品の総称」って解説があります。これ、ブラック-ショールズモデルという証券市場モデルにおいて、証券の価値を決める式があって。。。というところまでは、モデル論として一応納得できるところではあるわけです。しかし、それはモデル上の価値であって、実際の価値ではありません
しかし、そのモデル上の価値のみで、証券を売り買いすることで利益をあげる行為、これはとてつもなく危うい行為です。多くの人がブラック-ショールズモデルという証券市場モデルを信用している間は良いでしょう。ですが、その本質は多分、セカンドライフのリンデン・ドルより危うい。(詐欺だったらしい)円天(でしたっけ?)並の危うさです。なぜならば、証券モデル上の価値が実際の価値になってしまったのですから、その証券もデルを誰も信用しなくなったら、一巻の終わりです
90年代以降の、日本、および世界の金融機関は、このデリバディブ商品に飛びつきました。基本的に金融業は物を生産しません。ですから、金融業がこの世に生み出す価値は、お金のあるところから無いところに融通するという、流通業並のものでしかなかったのが、自らが都合良く(見せかけの)価値を作りだしてしまうことが、できるようになったからです
実際に純価値は増えていないのに、お金が儲かる。これはその反対側で、実際に価値を作り続けている人たちが、作った価値をかすめ取る行為に他なりません。まあ、強欲な金融・証券業の人たちは、結果として、やりすぎてしまいました。背後で、せっせと価値を作っていた人が作った価値、これを越えて(見せかけの)価値を増やし、それを実際のお金に変えてしまった結果が現状の不況です
これが、私が足りない頭で考えたこれまでのシナリオなのですが、多分、金融などについては、まったくの素人であるため、多くの誤謬を含んでいると思います。ちょっと考えても、実価値より見せかけの価値である貨幣が多いと言っているのに、なんでデフレになっているの?(*1) とかあります。まあ、このブログ・エントリは、このことを論じるものではありませんので、間違えがあれば、「やさしく」教えていただければ幸いです(笑

さて、本題に入りましょう。これらの過程において、何が問題になったかというと、物を作ること(価値を作ること)よりも、「おままごと」の方が儲かってしまうため、物作りが軽んじられ、実際に価値を持つ生産物に、正当な価格が付かなくなってしまったことが最大の問題だと思います。これまで物作りの現場は3Kなどと虐げられ、優秀な人材の流入も少なくなってしまいました。今、文科省が物作りに直結する「数学(算数)」、「理科」の授業時間を増やそうとしていますが、ありゃ馬鹿ですね。優秀な人材を物作りに呼び込みたければ、物作りでお金をたくさん稼げるようにすれば良いんです
さて、これが現状。この様な現状認識の元、旧世代の価値観を持つ私や、時代遅れの価値観を持つ2〜30歳台の人たち(はは、これ読んでいる人かな)に何ができるかということです。先にも述べたように、今の状況は実価値と比較して、見せかけの価値がものすごく大きな状態になってしまっています。2つの価値のバランスを取るためには、実価値を増やすか、見せかけの価値を減らすかのどちからになると思います。ここで私は実価値を増やすことが、現在物作りに携わっている者の本務だと思います。見せかけの価値を減らすのは金融などの人たちにやってもらいましょう(笑
私は、教員なので、よりたくさんの実価値を生み出すことができる人材の育成、これこそが本務になります。これを読んでくださる人の多くは、自分自身で実価値を生み出している方が多いのではないかと思います。そのような方は意識して品質の高い製品(がより実価値が高いって考えてます)を生産すること、特に、ソフトウエア技術に携わっている方は、意識して品質の高い製品を作っていただけると、直接的には不具合などによる損失も防げますので、世の中の実価値を多くすることができます。また、自分の行為が世の中の価値をより増やせる環境に移ることも、必要になるかもしれません
しばらくは辛い時代が続くような気もしますが、大きな問題から目をそらすことなく、目の前の問題を片付けてゆくことを続けて行く、これが私にできることなのでしょう

(*1) これに関しては、経済のことをまったく知らないド素人の考えで、絶対に間違っている様に思うのですが、実は見せかけの価値の実態の多くは借金であるという回答を考えたのですが・・・経済の初歩を知らない、ド素人の戯言です

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